リウィウスを読もう!

ティトゥス・リウィウスの「ローマ建国以来の歴史」、
完全日本語訳がまだされていないこの史料を読もうという試みです。
自己中心的なことに、スタートは21巻からです。いつになることやら分からないけれど、エンドは30巻です。
要するに、第二次ポエニ戦争限定です。

*はじめてお越しの方は、「はじめに」をご覧ください。
<< 22-18 | main | 22-20 >>
22-19
217年度スペイン戦線について。
ハシュドゥルバルがカルタゴノヴァから陸路進軍。
カルタゴ軍艦隊はヒミルコが40隻を率い、ハシュドゥルバルの陸軍と平行して同時に進軍。
ローマ軍はグナエウス・スキピオがタラゴーナから海路進軍。
エブロ川河口にて衝突する。
 この夏のはじめ、スペインにおいても戦いが始まっていた。
 スペインの留守を預かるハシュドゥルバル(*1)は、ハンニバルが残していった艦隊(*2)に更に10隻を加えて増強をはかる。全艦隊のうちの40隻に出撃準備を整えさせ、これをヒミルコ(*3)に任せた。ヒミルコ率いる艦隊はカルタゴノヴァを出港し、沿岸沿いを航行していった。一方、ハシュドゥルバルは陸上軍を率いて艦隊と平行して海岸沿いに進軍し、いつどこで敵と遭遇しても構わないように常に臨戦態勢でのぞんでいた。

 グナエウス・スキピオ(*4)の元に、カルタゴ軍が冬営地から進軍を開始したという情報が入った。当初は敵軍と同じ戦略を立てていたが、敵軍が大量の増強を行なっているという噂を聞き、戦略を転換する。陸上でぶつかるのは危険だった。そこでグナエウス・スキピオは35隻の艦隊に選りすぐりの兵士を乗せて、進軍を開始した。
 タラゴーナ(*5)を出港したグナエウス・スキピオ軍は二日目にして、エブロ川(*6)の河口より10マイルの距離にある場所に至る。ここは停泊するのに適した地だった。
 マッシリア人が二隻の船で偵察に出ていたが、カルタゴ軍が河口に宿営しているとの情報を持って戻ってきた。敵軍の警戒が緩んだ隙をつくために、グナエウスは錨を揚げて進軍を再開した。

 スペインでは、見晴らしの良い場所に見張り台が立てられていることがある。この役目はもう一つあり、海賊に対する防衛拠点でもあった。この見張り台から『ローマ軍接近する』の知らせがハシュドゥルバル軍がに届いた。まず真っ先に陸上の宿営地で大騒ぎが巻き起こった。まだ敵船のオール音も聞こえず、接近する船影も見えてはいなかったので、艦隊のほうがむしろまだ静かだった。
 ハシュドゥルバルはただちに騎兵部隊を繰り出し、川岸で待機している者や天幕で休んでいる者に敵が迫っていることを伝え、ただちに戦闘に備えるようにと命じさせた。いまやローマ軍の艦隊がすぐ近くまで迫っていた。自軍に戦いの用意をさせる一方でハシュドゥルバル自身もまた、主力軍と共に戦闘態勢に入る。
 大地は喧騒に包まれた。兵士たちは口々に叫びながら船に乗り込んでいったが、その様は戦いに向けて進軍する軍隊というよりも、戦場から散り散りになって逃げていっているように思えた。
 まだほとんどの者が乗船していないのに、乗船作業は滞っていた。錨の綱を解くものもいれば、別の者がそれを切ってしまったりもしている。皆、あくせくと動いているのに、水夫のやることは兵士のなすことをことごとく邪魔し、逆に兵士のやることは水夫の邪魔になっていた。

 ローマの艦隊はもう、すぐ間近に迫っている。迫っているだけではなく、こちらは船列を揃えて戦いの準備も整っていた。カルタゴ人はたちまちパニックに陥った。それを喚起したのは敵の姿ではなくむしろ自分たちの喧騒だった。彼らは戦いに向かおうとはせずに、船の舳を逆方向に向けて逃亡を図り始めた。しかし目の前にあるのは河口であり、一度にたくさんの船が通行はできない。そこに何隻もがやってきたので、船は岸辺に乗り上げてしまった。ある者は浅瀬を逃げ、ある者は岸を逃げた。武具を身につけている者もいれば、何も持っていない者もいた。彼らは岸辺で戦列を整えて待機している友軍の元に向かって逃げていった。

 この時に二隻のカルタゴ船が拿捕され、4隻が沈没の憂き目を見たのだった。


(*1)ハシュドゥルバルはカルタゴの歴史で山ほど出てきますが、ここで言うハシュドゥルバルはハンニバルのすぐ下の弟のことです。

(*2)21-22参照。ハンニバルが預けていった艦隊は、「五段櫂船50隻、四段櫂船2隻、三段櫂船5隻」の合計57隻です。もっともこのうち実用に耐えられるのは五段櫂船の32隻と、三段櫂船5隻の、合計37隻でした。これに10隻を加えると47隻になります。もしかしたら実用に耐えなかった20隻を補修していた可能性もあるのではないかと思うのですが、その場合は67隻になりますね……。

(*3)Himilco。ヒミルコといえば、ハンニバルの部下の一人マハルバルが「ヒミルコの子、マハルバル」と名乗っていました。カルタゴ人は同じような名前が頻出するので違うかもしれないことを承知で言えば、これはもしかしたらマハルバルのお父さんかもしれません。

(*4)Cneius (Cornelius) Scipio。218年の執政官・プブリウス・コルネリウス・スキピオの兄(もしくは弟)。有名なスキピオ・アフリカヌスにとっては叔父に当たります。

(*5)Tarragona。タラコネンシス地方の中心都市で地中海に面している。この時代、ローマ軍の前線基地として町の規模が大きくなっていった。後にカエサルにより植民市となっている。現在もタラゴーナという町で、バルセロナから海岸線沿いに西にいったところにある。

(*6)英語のテキストでは、Ebroではなく、Iberusと表記されています。他の箇所でもエブロ川のことはIberusと記述されています。これは一般的にエブロ川のことと考えられていますが、もしかしたら違う川のことかもしれません。もっともこのブログでは通例どおり、今後もIberusはエブロ川と訳すことにします。タラゴーナから現在のエブロ川までは直線距離で50キロぐらいなので、確かに二日目ぐらいにはたどり着けそうな場所にはあります。
| livy | 22巻 | 23:00 | - | - | - | -
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

このページの先頭へ