リウィウスを読もう!

ティトゥス・リウィウスの「ローマ建国以来の歴史」、
完全日本語訳がまだされていないこの史料を読もうという試みです。
自己中心的なことに、スタートは21巻からです。いつになることやら分からないけれど、エンドは30巻です。
要するに、第二次ポエニ戦争限定です。

*はじめてお越しの方は、「はじめに」をご覧ください。
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21-59
ハンニバル、アペニンから一時撤退する。
センプローニウスと苛烈な戦いが繰り広げられる。
両軍、一時プラケンティアを離れる。
ガリア人がローマの会計官を捕らえ、ハンニバルの元に連れてくる。
 ハンニバルはアペニンから軍を降ろしてプラケンティア付近まで撤退し、そこから17キロほどいったところの地点に陣を置いた。
 
 翌日、歩兵12,000と騎兵5,000を率いて出陣し、敵に向かった。センプローニウスもローマから戻ったところで、この挑戦を受けて立った。
 両軍は5キロ離れて向き合い、その日はそれで終わった。翌日、両軍共に劇的な勇猛さでもって激突した。
 最初はローマ側が有利だった。対峙しているハンニバル軍を打ち破り、さらに撤退する敵を追撃してその陣営までなだれ込んできた。ハンニバルは陣営の防策と門にはわずかの兵しか残しておらず、残りは皆、陣営の中央に固めて出撃命令に備えさせていた。
 その日、第9時が回った頃(*1)、ローマ軍はそろそろ疲れてきていた。これ以上やっても敵陣営が落とせない今、撤退命令が下る。その命令がハンニバルの耳にも入った。敵は攻撃の手を緩め、陣営から撤退し始めている。ハンニバルはただちに騎兵部隊に出撃を命じ、敵の左右に躍り掛からせた。ハンニバル自身も主力歩兵の中央におり、これもまた陣営から打って出た。
 戦闘は激烈を極めた。太陽が沈むのがもっと遅ければ、比類ないほどの損害が両軍に出ていただろう。両軍共に士気いまだ衰える兆しもなかったが、夜の帳が戦闘に幕を引いた。
 
 結果的に、この戦い(*2)は虐殺よりももっとひどい結果を生んだ。両軍ほとんど引き分けで、犠牲者の数も同じほどだった。歩兵6,000、騎兵はその半数の3,000、両軍共にこれだけの犠牲者を出した。数では等しいものの、その内訳を見るとローマのほうが被害が大きい。この中には騎士階級の者も何名かいたし、将校クラスでも5人、同盟軍長官も3人が命を落とした。
 
 この戦いの後、ハンニバルはリグリア人の領地に一時退却し、センプローニウスもルッカ(*3)まで撤退した。ローマの会計官だったガイウス・フルウィウス(*4)とルキウス・ルクレティウス(*5)が司令部付将校二名および騎士階級5名と共に敵の手におちた。ほとんどが元老院議員の子弟だった。ちょうどリグリアに到着したハンニバルの元にこの捕虜が連れてこられた。ガリア人はハンニバルとの友好の維持を期待して、捕虜を差し出したのだ。


 (*1)第9時は現代のPM15:00ぐらいのようです。
 
 (*2)この戦いも実際のものではないらしいです。
 
 (*3)旧名Luca。エトルリア地方にあるTeutania人の町。
 
 (*4)Gaius Fulvius

 (*5)Lucius Lucretius
| livy | 21巻 | 18:58 | comments(0) | - | - | -









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