リウィウスを読もう!

ティトゥス・リウィウスの「ローマ建国以来の歴史」、
完全日本語訳がまだされていないこの史料を読もうという試みです。
自己中心的なことに、スタートは21巻からです。いつになることやら分からないけれど、エンドは30巻です。
要するに、第二次ポエニ戦争限定です。

*はじめてお越しの方は、「はじめに」をご覧ください。
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21-48
ローマ軍内のガリア人、ハンニバルに寝返る。
コルネリウス、軍を率いて撤退する。
ハンニバル、ヌミディア騎兵に追撃させるが、みすみす逃してしまう。
ローマの穀倉クラスティディウムの守備隊長ダシウス、ハンニバルに寝返る。
 次の日の夜のことだった。ローマ軍陣営で、殺戮が起こった。やったのは同盟軍のガリア人で、その数も相当なものだと思われたが、実際のところは混乱で多く見えただけだった。実際の数としては歩兵2,000に騎兵200、陣営の出入り口を守っていた衛兵を殺戮して、ハンニバルの元へ寝返っていった。ハンニバルはこのガリア人を丁重にもてなした。さらに、もしも故郷の人心を得るにこぎつけたならば莫大な褒賞を与えることを約して、それぞれの故郷に放った。
 コルネリウスはこのガリア人の所業によって全ガリアがローマに反旗を翻すのではないかと懸念をおぼえた。離反の事実が広まれば、ガリア人は狂気の如くに武器を取って立ち上がりかねない。コルネリウスは重傷に苦しみつつも、翌夜第四歩哨時に軍を率いて陣を立ち、ひそかにトレッビア川に向けて進発した。次なる宿営地は先のものよりも高地に置き、騎兵に不利な陣形を置いた。
 
 だが、ティチーノから撤退したときほど、敵は欺かれなかった。ハンニバルはただちにヌミディア騎兵を追っ手に差し向け、さらに続いて全騎兵を差し向けた。そのヌミディア騎兵の貪欲さゆえに、ローマ軍はからくも逃げおおせた。ヌミディア騎兵はうち捨てられたローマ軍陣営に気をとられ、何か戦利品はないかと探している間に、みすみすローマ軍を逃してしまったのだ。しかも、陣営地に満足いくようなものは残っていなかった。はじめからヌミディア騎兵がちゃんと追撃していれば、ローマ軍のしんがりは大打撃を蒙っていたはずだった。気づけばローマ軍はトレッビア川の向こうにまんまと逃げおおせ、新しい宿営地の設営にいそしんでいる。ヌミディア騎兵にできたのは、川岸にまだ残っていたローマ軍兵士を血祭りに挙げることだけだった。
 ここに至るまでの悪路がコルネリウスの傷に響き、傷口は炎症を起こしていた。とてもではないがこれ以上指揮を執ることはできない。幸い、同僚執政官(*1)はすでにシチリアを発ったという知らせは得ていた。そこでコルネリウスは川のそばの良き地を選んで、そこに仮設要塞を打ち立てた。
 
 ハンニバルもそこから程近いところに陣を置いた。先の戦いでの騎兵の働きには満足していたが、ここで一つの問題が持ち上がっていた。兵糧の減少だ。敵地に侵攻する以上、手持ちの兵糧は補給せねば減っていくのみ。
 この問題を解決するために、ハンニバルはクラスティディウム(*2)に目をつけた。ここにはローマ軍が一帯の収穫物をまとめて蓄えている。この地の制圧準備を始めていたハンニバルの元に、朗報が届く。内通の可能性が持ち上がってきたのだ。クラスティディウム守備隊長は、ダシウスという名の男で、ブリンディシ出身だった。彼は、たかが金貨400枚で、クラスティディウムをハンニバルに明け渡した。この町はこれより、ハンニバル軍がトレッビアに布陣している間、その穀倉となる。投降した守備隊には何の危害も加えられなかった。ここで示した寛容性は、これより後にハンニバルが示す政策(*3)の端緒だった。
 

 (*1)ティベリウス・センプローニウス・ロングス。任地にシチリアを与えられていた。21-17参照。

 (*2)Clastidium。現代のカステッジョ。ミラノより南で、ピアチェンツァより西。222年、ガリア人と戦っていたクラウディウス・マルケルスが陥落させた町。

 (*3)ローマ人以外には寛大に接するという政策。この政策を進め、イタリア人の心をローマから引き離して、イタリアにおけるローマの支配網を瓦解させることが、ハンニバルの目的だったとされている。
| livy | 21巻 | 14:03 | comments(0) | - | - | -









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