リウィウスを読もう!

ティトゥス・リウィウスの「ローマ建国以来の歴史」、
完全日本語訳がまだされていないこの史料を読もうという試みです。
自己中心的なことに、スタートは21巻からです。いつになることやら分からないけれど、エンドは30巻です。
要するに、第二次ポエニ戦争限定です。

*はじめてお越しの方は、「はじめに」をご覧ください。
<< 21-46 | main | 21-48 >>
21-47
ローマ軍、プラケンティアまで撤退する。
ハンニバル軍、すぐさま全軍で追跡を試みる。
数日を渡河に要したのち、プラケンティア付近に陣を置く。
 これがハンニバルとローマの第一戦だった。この緒戦からしてすでに、ハンニバル軍の強みが騎兵にあることが明らかとなっている。ゆえに、この地のような開けた平地ではローマ側が不利だった。
 
 翌日、ローマ軍は夜半のうちにひそかに荷をまとめて宿営地を打ち捨て、ティチーノ河畔からポー川に向けて急ぎ進軍した。川には先だってかけた仮設の橋(*1)がまだ残っていた。ハンニバルの軍から妨害を受けることなく、その橋を渡って全軍無事に川向こうに逃げおおせた。
 
 ハンニバルがその動向に気づいたのは、コルネリウス軍がプラケンティアにたどり着いてからだった。その頃まだティチーノ河畔の橋を分解するのに手間取っている兵がおり、その数600はハンニバルの手に落ちた。だが、橋はすでに分解し、はるか下流に流されていってしまった。ハンニバルが橋を渡るのは、不可能となった(*2)。
 コエリウスによれば、騎兵とスペイン歩兵がマゴーネに指揮されてただちに川を泳ぎ渡ったという。そしてハンニバルは軍を率いて上流の浅瀬に向かい、象を川上に一列に並べて水流の勢いを軽減させた上で、全軍を渡河させた、とある。
 だが、実際にこの川の流れを見れば、この説はすぐに却下できる(*3)。騎兵があの川を武器も失わず、馬から落ちずに渡りうることは、できるものではない。スペイン歩兵は革袋に空気を入れて膨らまし、浮き輪にして渡ったらしいが、それでもなお、泳ぎきるのは難しいだろう。また、全軍を擁して渡れるような浅瀬は、ここからなら数日行軍しないとたどり着けないような場所にある。
 より信頼の置ける説によれば、ハンニバル軍は二日間の行軍の後、やっとのことで橋をかけられる浅瀬にたどり着いた。この橋を通って、マゴーネ(*4)が軽装のスペイン騎兵を率いて川を越えた、という。その間ハンニバルは沿岸でガリア人からの使節を迎えていた。このため若干の遅れが出たものの、続いて重装歩兵による渡河を成功させた。
 マゴーネたちは川を越えた翌日、敵の篭るプラケンティアにたどり着いた。数日遅れでハンニバルもこの地にたどり着き、プラケンティアより10キロ弱の地点に陣を堅固に築いた。その次の日には敵の目の届くところで軍団に戦闘陣形を取らせ、戦闘の機会をうかがった。

 (*1)21-45参照。英文ではraftという単語が見られるので、筏をつなげた浮橋なのでしょうか??

 (*2)シロウトの浅はかさで言ってみますが、この場所にもう一度橋をかけなおすということはできなかったんでしょうか?? カルタゴ軍の技術力じゃ無理だったとか? それとも、徹底的に壊されて川岸までめちゃめちゃにされていたんでしょうか? 
 
 (*3)「リウィウスにしては珍しく、この地を自分の目で見たらしい」……と、ペンギンブックスの注釈にありました。
 
 (*4)言わずと知れたハンニバルの末の弟マゴーネですが、ポリビウスではこの役目を担ったのはハシュドゥルバルになってます。もちろん、二番目の弟ハシュドゥルバルではなくて、別人らしいのですが。同名の将官がいたということでしょう。
 
 (**)要した日にちが明確でない点もありますが、ハンニバルが追跡を開始してからプラケンティアにたどり着くまでだいたい4〜7日ぐらい、ティチーノの戦いから10日あまりが経過しているという感じでしょうか?
| livy | 21巻 | 12:00 | comments(0) | - | - | -









  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

このページの先頭へ